日向Ⅲ(ヒュウガ・スリー)
日向Ⅲ(ヒュウガ・スリー)

 「悲願の西医体金メダルを。」2004年に起こった新艇購入の動きは、全てこの一言に集約されるものであった。卒業された先生方のボートへの想い、部員たちの情熱と西医体での善戦、それらを受けて新対校艇を購入しようという計画が動き出した。

 西医体でも全体の趨勢としてエンパッハ社の艇が増えていたが、研究の結果、コストパフォーマンス、メンテナンス、堅牢性、安定性、各大会での実績など全てに優れたサイクス社の艇に決定した。

 艇名は、伝統を踏襲してナンバリングとなった。現役の部員たちの間では前対校艇「天照Ⅱ」が大きな存在となっており、また他大学にもその名前がよく知られていたことから「天照Ⅲ」という「天照」系列3番艇となることが最有力視された。また、宮崎医科大学が宮崎大学医学部に生まれ変わったことを受け、「天照 零」という名前も挙がった。しかし、最終的には「日向」系列3番艇、「日向Ⅲ」に決定された。それは、漕艇部創成期最初の対校艇「日向」のスタイルを継承するものであり、奇しくも新生漕艇部最初の対校艇にその名が付けられることとなった。

 「日向Ⅲ」はこれまで漕艇部にあった艇と大きく使い勝手が違ったため、当初は全く艇が進まずレースでの使用が不安視された。しかしそのポテンシャルが発揮され始めると、その最高速度はかの名艇「天照Ⅱ」をも大きくしのぐという評価がされるようになった。そしてその夏、対校クルー「日向Ⅲ」は漕艇部史上初の金メダルを西医体で勝ち取ったのであった。

 

(旧ホームページより一部引用)